Tomoyuki Hirose Journal

#新卒で社会起業家に挑戦中

ルワンダの大量虐殺跡地に行った僕が、この社会にできること。

2017年11月、僕はルワンダを訪れていた。

 

ルワンダに行った目的は、ひとつ。

 

ジェノサイド(大量虐殺)のあった跡地を訪れるためだ。

 

あの場所に足を運んで、アウトプットをずっとしたかったけど、

言語化するのが難しくて、あの記憶を誰とも共有することなく、頭にしまっていた。

 

それではいけないとわかっているから、今日はあの日感じたことと

今思っていることを書き留めたいと思う。

 

 

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ルワンダで起きた大量虐殺

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www.aboutrwanda.com

 

 

当時ルワンダには、多数派のフツ族(約85%)と、少数派のツチ族(約15%)がいた。

 

事が起きたのは、1994年。

今年24歳になる自分が生まれた年。

 

100日間で、約80万人のツチ族と穏健派のフツ族が虐殺された。

 

両民族には慎重おや皮膚の色に多少の違いがあったものの、目だった差異は見られず、お互いを区別して生きていたわけではなかったと言われている。

 

ではなぜジェノサイドが起きたのか?

簡単に説明をすると、

 

当時ルワンダはベルギーに植民地支配をされており、

植民地を円滑に経営するために、少数派のツチ族を優遇し、フツ族を統治させるいう、

分断統治と呼ばれる手法をとったのがキッカケとされる。

 

これにより、大多数を占めるフツ族の不満の矛先は、中間支配者であるツチ族に向かうという構造だ。

 

ベルギーはフツ族とツチ族をIDカードによって区別し、

すべての首長をツチ族に独占させ、教育や税の面でもツチ族を優遇した。

 

そして、この明確な線引きこそが、最終的にジェノサイドに繋がってしまった。

 

4万5000人が虐殺された場所へ

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daiki55.com

 

そんなジェノサイドの跡地にいつか行きたいと、

大学1年のころから考えていたが、大学4年の時に、ついに現地に足を運ぶことができた。

 

ルワンダの首都、キガリにもジェノサイドのことを知るためのメモリアルはあるが、

今回は南部ムランビにある、技術学校の話をしたい。

 

その技術学校は、一夜にしておよそ4万5000人ものツチ族が虐殺された場所。

今はその悲劇を後世に遺すため、「ムランビ虐殺記念館」というメモリアルとして慰問者を向かい入れている。

 

虐殺が始まった当初、ツチ族は教会へと避難するものが多かったといわれるが、

「丘の上の学校に避難をすればフランス軍の保護が受けられる」

という噂が広がり、6万5000人ものツチ族が学校に避難していた。

 

しかし、ある日フランス軍は学校から撤退。

その後虐殺が行われた。

 

ある者はナタで、ある者は銃で。子どもや女性、老若男女問わずの4万5000人が殺害されたのだ。

 

この学校では、無数の遺体が発見されており、

発見された遺体はミイラ化した状態で、建物内に並べられている。

 

(写真はこちらから確認できます※閲覧注意)Mrambi genocide - Google 検索

 

自分もその建物内に入らせてもらったが、

入った瞬間、強烈なにおいが鼻の奥に突き刺さり、足を止めた。

 

死臭だった。

 

今まで嗅いだことのない臭い。

そして無機質な部屋に、きれいに清掃された遺体が並べられていた。

 

まだ赤ん坊だったり、頭蓋骨が砕かれていたり、手足が切断されていたり。

レイプされて殺されたという、股を開かれた状態の遺体もあった。

 

骸骨に表情はないはずなのに、苦しんで死んでいったのがわかるような

息苦しい表情をしていた。

 

1人の遺体の体に手を触れると、冷たく、さらさらとした粉が手についた。

 

僕の心にあったのは、とてつもない虚無感。

なぜ止められなかったのか。なぜこんなことが起きるのか。

なぜ人が人を殺すのか。

 

考えても考えても、心が晴れることはなく、 

「日本で同じことを二度と絶対に起こさせません。」

慰霊碑に固く誓うことしかできなかった。

 

ジェノサイドはヘイトから始まる

 

そんなルワンダでの記憶は、今もなお強く脳内に焼き付いている。 

 

日本に帰国後、当時の記憶が頻繁に脳内をよぎるようになったのは、

ヘイトスピーチ・差別に関する講義を受けた日からだ。

 

ワンワールド・フェスティバルというイベントに参加をした際に、

ヘイトスピーチを学ぶ ワークショップが企画されていた。

 

差別やヘイトスピーチの問題に関心を持っていたので、

予定にはなかったが参加することにした。

 

その時の講師が言っていたセリフが、ルワンダの記憶を線でつないでくれたのだ。

 

それが、

「ジェノサイドはヘイトから始めるんです。ジェノサイドはもう始まっているんです。」

という言葉。

 

その講師は、「ヘイトのピラミッド」という概念を元に解説をしてくれた。

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 ジェノサイドは、唐突に人間が大量の人間を殺すわけではなく、 すべては偏見から始まるという。

 

そして偏見が言動などによる差別につながり、

差別が、ヘイトスピーチ、ヘイトクライムという暴力や事件へとつながる。

最終的にジェノサイドへとつながるという概念だ。

 

この説明を受けたときに、今の日本社会とルワンダの記憶が、はっきりと結びついた。

 

差別やヘイトスピーチは日本も深刻な社会問題となってきている。

都市部ではヘイトデモが横行し、

TwitterなどのSNSでは、数え切れないほどのヘイトスピーチを目にする。

 

またヘイトスピーチをにとどまらず、

3月には右翼活動家らが、朝鮮総連に向かって発砲するという事件も起きている。

www.jiji.com

 

 

“ジェノサイドはヘイトから始まっている”

 

この言葉と、ルワンダでの記憶を日本社会に置き換えたときに、危機感と恐怖を感じるようになった。

 

日本で同じことを絶対に起こしてはいけない。

そのために自分にできることは何なのか?

 

ヘイトに流れないために、社会への関心を

 

その答えの一つに、今自分が取り組んでいる、

「社会に関心を持つ人を増やす」があると考えている。

 

世間では特に若者が、社会に関心を持たなくなっていると言われている。

 

関心がないという状態は、「その物事に対する善悪を判断する軸がない状態」

だと僕は思う。

 

例えば政治に対して関心がない人は、誰が良い政治家で、誰が悪い政治家なのか。

どれが良い法案で、どれが悪い法案なのか、判断することはできないだろう。

 

そしてその状態は、強い影響力を持つ思想や、社会の風潮になびきやすい。

 

今やSNSを中心に、日本でも「ヘイト」が目につくようになった。

誤った情報をもとに、そうした大きな声に共感してしまう人も少なくないだろう。

 

社会に無関心な人も、無関係に生きることはできない。

 

一人ひとりの力が合わさって社会に大きな影響を与えているのだ。

 

だからこそ、一人ひとりが社会に対して関心を持つ(NOといえる判断軸を持つ)必要があるのだと思う。

 

社会に関心を持つ人を増やすことが、ヘイトスピーチをはじめとする社会の不正義に対して「NO」を示せる社会に繋がると、僕は思う。

 

(了)

 

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廣瀬 智之(ひろせ ともゆき)

社会問題の解決を他人任せにしない世界へ。#新卒で社会起業家 に挑戦中。元開発メディアganas記者。「日本の社会・政治参加意識を高めるメディア事業」立ち上げ中です。

 

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